だれが自分のあやまちを知ることができましようか。 どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。
だれが自分のあやまちを知ることができましようか。どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。
しかし人は、心にひそむ罪を どうして知ることができましょう。 どうか、隠れた罪からきよめてください。
あなたの僕はそれらのことを熟慮し それらを守って大きな報いを受けます。
人間は 自分のした間違いに 気が付かない だから 気付かず行った 僕が起こした間違いを 許してほしい!
わたしに教えよ、そうすればわたしは黙るであろう。 わたしの誤っている所をわたしに悟らせよ。
あなたはわがすわるをも、立つをも知り、 遠くからわが思いをわきまえられます。
このような知識はあまりに不思議で、 わたしには思いも及びません。 これは高くて達することはできません。
数えがたい災がわたしを囲み、 わたしの不義がわたしに追い迫って、 物見ることができないまでになりました。 それはわたしの頭の毛よりも多く、 わたしの心は消えうせるばかりになりました。
わたしの不義をことごとく洗い去り、 わたしの罪からわたしを清めてください。
あなたはわれらの不義をみ前におき、 われらの隠れた罪をみ顔の光のなかにおかれました。
ときに主はモーセに言われた、「山に登り、わたしの所にきて、そこにいなさい。彼らを教えるために、わたしが律法と戒めとを書きしるした石の板をあなたに授けるであろう」。
み言葉を軽んじる者は滅ぼされ、 戒めを重んじる者は報いを得る。
われわれはみな汚れた人のようになり、 われわれの正しい行いは、 ことごとく汚れた衣のようである。 われわれはみな木の葉のように枯れ、 われわれの不義は風のようにわれわれを吹き去る。
心はよろずの物よりも偽るもので、 はなはだしく悪に染まっている。 だれがこれを、よく知ることができようか。
わたしは自ら省みて、なんらやましいことはないが、それで義とされているわけではない。わたしをさばくかたは、主である。
ただ願わしいことは、彼らがつねにこのような心をもってわたしを恐れ、わたしのすべての命令を守って、彼らもその子孫も永久にさいわいを得るにいたることである。
それゆえ、あなたがたの神、主が命じられたとおりに、慎んで行わなければならない。そして左にも右にも曲ってはならない。
幕屋の奥には大祭司が年に一度だけはいるのであり、しかも自分自身と民とのあやまちのためにささげる血をたずさえないで行くことはない。
しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。